人にあらざる力を持つ者がその力を行使する、というのはライトのベルでは結構当たり前の話だが、実際のところその意味を理解した上で行使しているかというとそういうわけではない。使うのは当たり前、使うことが前提の力だ。
「力には大いなる責任が伴う」というようなことを映画版「スパイダーマン」では語られていたが、力を行使することに対して何か責任や制約を追っているように見える者は少ない。
「ぼくのメジャースプーン」に登場する主人公は使い方次第で人の命を容易に奪うことのできる力の持ち主だ。
小学四年生である彼は、自らが加害者であることをある程度自覚している。ある者に復讐を行うために力を使おうとする彼は「先生」とともに力を行使すべきか否か、力を利用することで起こるであろう結末を、力を行使することで負うべき責任と受け止めるべき結果を話し合う。
その上で、誰のためでもなく彼自身のために、彼は彼自身のメジャースプーンによって自分の正義と敵の罪を計り、決断を下すのだ。
その決断と、物語の結末は読んでいただくとして、彼は彼なりの持ちうるすべてを総動員し先生の助言を加えて力の行使について考え続ける。力の行使に無責任であることの多い最近の小説の中では非常に新鮮にうつる。力による恩恵のみを受け制約を受けない異能者、宿命という言葉を免罪符とし決断もせず責任も負わない破壊者、そんな物語に少しばかり疑問を感じたならこの本をお薦めする。
あ、別に昨今のライトのベルが気にくわないといっているわけではないですよ。ただ、もちっと考えて方が良いんじゃないのかね、と思う次第。