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願いを叶える道具が幸せをもたらすとは限らない―「付喪堂骨董店」―

2007/11/08(木) 22:39:45 [] #

 願いを叶える道具、そのようなものがあればとても魅力的だ。しかし、それは本当に手に入れたものを幸せにするのだろうか?

 往々にして人はそのようなものを手に入れると、その能力におぼれていく。そしてその道具を保持し続けるか、捨て去るかの選択を迫られる。
 昔話や神話の中でもよく語られるような話ではあるが、ある種の「骨董品」がそのような力を持ち(本編内では『アンティーク』と呼ばれる)、それらを扱う店があったなら……というのがこの本のお話。

 数本の中編、短編というスタイルで描かれる話は非常に読みやすく扱う品も様々であり、アンティークを乱用するものとそれを止めようとする主人公刻也との知恵比べ的な要素も楽しめます。
 
 この手の話ともなると結末は苦いものになりがちですが、ほっとするような話もあるところがポイントを上げているところかと思います。
 ライトノベルのお約束として、朴念仁主人公刻也とヒロインの咲とのかみ合わないやりとりもアンティークによる災難がかみ合わさってちょいと面白いものになっているのもよいですな。

 まだ発刊数の少ないシリーズとしては最近の一押しでしょう。

 そういえば嫌悪感を覚えないツンデレヒロインは初めてかも。ちょいとツンデレとはいえないかとも思うが……。
 ちまたにあふれているツンデレヒロインとやらはどうも自分的にはただの逆ギレ野郎(少女ですが)にしか見えないもので、ツンツンしているが主人公に当たりつらすことが少ないヒロインは新鮮だったりしますね。

4840235945付喪堂骨董店―“不思議”取り扱います (電撃文庫)
御堂 彰彦
メディアワークス 2006-10

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「連射王」―敢えて問いますが、君は、ゲームが好きですか

2007/01/08(月) 22:40:43 [] #

 ああ、大好きだとも

 そう答えられる人がどれほどいるか?
 TVゲーム、アーケードゲーム問わずボードゲームではないコンピュータゲームに発展とともに育ち、ゲームを続けてきた自分にも「敢えて」問われると返答に難しい。

 その中でもシューティングゲームに限定すればどうか?
 好みのジャンルではあるが、苦手だ
 自分はこう答えるしかない。
 ゲームセンターで1コインクリアしたシューティングは一つしかないし、それは当時かなり難度を下げていると言われたものだからだ。
 だからこそだろうか、とてつもないプレイ(達人プレイといわれる)を眼にすると心揺さぶられるものがある。
 
 しかしながら、いままでシューティングゲームをほとんどしたことがないものが達人プレイを見たとき、自分もその世界に飛び込もうとするものは少ない。あまりの高難度とストイックさに自分の対処できる範囲を逸脱していると見えるからだ。

 だが、漫然と野球少年を続けていた高村はそこに飛び込んだ。
 しかも「自分の本気」を試すためだ。

 笑うことなかれ。たかがゲームという事なかれ。
 胸に手を当てて考えてみるといい。自分は何かに対して「本気」になったことが本当にあるのか、と。
 そして生まれてはじめて「本気」になった少年は1コインに己の技量のをかける。
 最高の攻撃手の称号であり、ゲームセンター最強の守り手の呼び名、「連射王」を目指して。
 
 妙に青臭い書き方になったけど、なんというか魂揺さぶられた、マジで。

 あるのはシューティングゲームの解説図のみ(しかもテクニックなどの解説だ)のハードカバーなのにゲームの画面と彼の苦闘の様がありありと浮かぶのは、自分がある程度ゲームをこなしている人間であることを差し引いても著者の技量とシューティングゲームへの愛のなせる技なのだろう。

 いつもの著者特有の特徴的な言い回しは今回はそれほど無いのだが、必ず著者の作品には登場する主人公を背中で導く大人たちの存在は今回も大きな役割を果たしている。また、チームメイトである仲と、腐れ縁の幼なじみでゲーセンは不良の行くところだと思っており、高村に対してのみ暴力的だが子どもの頃の高村の発言を気にして努力を怠らないラーメン屋の看板娘である岩田のゲームにのめり込む高村への見方の違いと、岩田の心の移り変わりも大きな見所かと。
 とても理解のある、男友達とすばらしく妄想を具現化した幼なじみヒロインに乾杯。いつもの夫婦漫才も健在で著者の愛読者はニヤリとできるはず。

 しかし、題材がシューティングゲームというかなりカッ飛んだ方向であるにもかかわらず、見事に青春小説なのは何故なんだと。
 何というか、TRPGもシューティングもやってきた自分には「ひと夏の経験値」(秋口ぎぐる著 富士見文庫刊)に並び立つ怪作かもしれない。主人公の年齢が高校生だからそこまで青臭くないし、ねらってるわけでも無いけど、過去を思い出すという点では同一だ。それこそ業界初(?)のシューター青春ストーリーという感じ(笑。
 少年ジャンプ風に言って 「連射王に俺はなる!」
 みたいな話なのかと思ってたが、さすがにそれは違ったか。著者ならやりかね無いとも思っていたけど。
 
 馬鹿な発言はともかく、シューティングゲームに一時でも熱を上げたことがある人は必読。
 ゲームにのめり込む人に対して理解できないと思っている人には、理解への手助けになるかもしれないので読むと良いかも。感情が悪化しても責任はとりませんが。

 とりあえず、魂揺さぶられたので
「超連射68K」http://www2.tky.3web.ne.jp/~yosshin/my_works/index.html
 を再開することにしよう。二週目クリアできずじまいだったし。

 ちなみにフリーソフトなのでシューティングゲーム知らない人が体感するにはもってこい。作中ゲーム「大連射」にシステム的に近いので本書を理解する一助となるはず。
 
 
連射王 上 (1) 連射王 上 (1)
川上 稔 (2007/01)
メディアワークス

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連射王 (下) 連射王 (下)
川上 稔 (2007/01)
メディアワークス

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兵士として調達される子どもたち

2006/11/05(日) 20:37:24 [] #

 戦争とは、相手に我が意志を強要するために行う力の行使である。
 クラウゼヴィッツの戦争論第一編第一章第二節の言葉だ。
 古今東西戦争は絶えることなく続いており、上記の定義は未だに生き続けてはいる。しかしながら、その内実は全盛期後半にいたり大きく変わってしまったのかもしれない。

 世界大戦が過去の言葉となりつつあり、国家間の総力戦さえも過去の言葉となろうとしている用にも思える今、行われている戦争の目的は千年前に戻ってしまったかのようにも思える。国家の政策の延長として行われるのではなく、ただ単に資産の略奪のために行われている。戦争は略奪のための行為に戻ってしまったのだ。

 そしてそこで戦うのは恐るべきことに子供たちだ。戦いに赴くのは大人の男の仕事であったことは暗黙の了解として存在していたが、それすらも今は失われた。

 子供兵は「調達」するものである。 
 大人よりも「調達」が容易であり、大人よりも「恐怖」によって容易に教化され、大人よりも容易に「凶暴」となりうるという理由により、子供たちは兵士へと仕立て上げられる。
 何よりも重要なのは「調達」が容易であることだ。そう、物資のように「調達」するのだ。生きるために兵士になる者もいる。しかしながら、それとて元はといえば戦争を起こした者にそのように仕向けられているにすぎない。兵士とならざるを得ない状況を作り出すのはいつだって調達する側だ。
 自主的に兵士になる者もいる。だがそれは大半の場合、調達する側のプロパガンタによって兵士になることを英雄的行為であると信じ込まされているにすぎない。恐るべきことに兵士になることから子供を守るべき親が、そうと信じ込まされ積極的に子供を差し出すことさえある。
 そうして調達するために必要なコストは限りなくゼロに近い。だからこそ兵士とも呼べない敵を攪乱するための「囮」、もしくは敵をあぶり出すための「的」としてさえ利用する。

 調達された子供たちは暴力によって兵士に仕立て上げられる。これは大人の兵士においてもある程度黙認される行為ではある。しかしながら最悪の場合、手近な者を殺させることで逃れられない枷をはめる。殺すべき相手はともに調達されてきた子供であったり、血縁者だったりもする。
 戦いに赴くに当たり往々にして麻薬が支給される。麻薬によってハイにさせられた子供兵は恐るべき殺戮者に変わる。そして相対する者は子供であるが故に判断に迷い、その迷いは多くの場合致命的となる。

 子供の兵士は「見えない兵士」といわれる
 そのようなまさに地獄といえる状況の中で、生き残る子供は少ない。「調達」され「消費」されるのだ。生き残った者は成年となり、「兵士」となる。そして子供兵を使う者は建前上その存在を否定する。消費され、存在を否定され、消費される子供兵たちは文字どおり「見えない兵士」となるのだ。

 戦争の最大の被害者の一つは「兵士」である。 戦争によって生まれる最大の被害者は巻き込まれた民間人たちである。これに疑いを挟む人はおそらくいないだろう。しかしながら被害者に「兵士」をあげる者はどれほどいるだろう? 
 様々な理由で戦場に送り込まれた兵士は敵を殺すこととなる。兵士はいかに教化され、戦う意志を持っていたとしても、我々と同じ人間である。故に多くの場合、戦闘の後に精神に支障をきたす。国家間の大人同士の殺し合いでさえそうなのだ。では、殺すべき敵が、年端もいかない子供であったなら? そして子供が子供を殺すのであったなら? 精神に与えられる衝撃は想像を超えた者であるに違いない。
 調達され、絶え間ない精神への衝撃を受け続け、消費され、その存在を否定される子供兵は戦争最大の被害者の一つと間違いなくいえるだろう。

 子供兵問題解決の前途は多難である。 本書では子供兵の問題を解決していくに当たり、いくつかの提言を行っている。
 ・子供兵を使うこと自体を戦争犯罪と見なすという共通認識を作り上げる。そのために、子供兵を利用している者を告発し前例を作る。
 ・子供兵に対した場合、彼らを死傷させないようあらゆる手だてを講じる。その上で子供兵と対した兵士たちを非難することなく、非難の矛先を子供兵の利用者に向ける。
 ・子供兵の武装を解除し、一般の兵士以上の更正と社会復帰のための治療、教育を行う。

 至極もっともな意見だが、現実は厳しいといわざるを得ない。そもそも復帰すべき社会自体が子供兵を当たり前のように使う世界である以上、堂々巡りになる可能性が高い。為政者たちが隣のダイヤモンド鉱山を手に入れるために戦争に精を出しているような場所、国を挙げて敵対民族を抹殺しようとしているような場所では彼らが再び武器を取るのはそう遠くない未来と思わざるを得ない。
 子供たちの手から武器を離させるためには彼らが戻るべき社会を、国の方針を変えていく他はない。しかしながらそれを行うには、まず多くの者が現実を知る必要がある。日本いえばイラク情勢と同程度に報道され、認知される必要があるだろう。そうすることで彼らを救うべき力と資金を持つ国の目を彼らの方向へ向けさせねばならない。
 我々がなすべきことは、まず子供兵が存在していることを知ること、彼らのいる国、社会の状況を知ることだと考える。
 本書はそのための一歩となると思う。

子ども兵の戦争 子ども兵の戦争
P.W. シンガー (2006/06)
日本放送出版協会

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ラバウル烈風空戦録

2006/09/24(日) 20:08:08 [] #

 という架空戦記が昔あった。中央公論C-NOVELSから発刊されていたのだが15巻からぷっつりと発刊されなくなっていたのだが、このたびめでたく角川文庫より再編集版が改題されて発刊され完結の運びとなった。

 翼に日の丸 上中下 川又千秋著 

 発刊されたんだが……いくら何でもはしょりすぎではなかろうか。しかも書き足されたのは下巻の後半150ページ足らず。しかも一人称を三人称に変えているものだから文がおかしくなってる箇所はあるし、過去の外伝の話を無理矢理本編に主人公を変えてつなげただけのような気もする(現本は実家なのでうろ覚え)。
 
 ラバウル烈風空戦録は一パイロットが主人公ということで他の架空戦記とは毛色の異なったもので、結構楽しんで読んでいたんですがね。8年待ってこれで完結っていわれてもちょっと困ったものだとしか言い様がない。
 もっとも題名変えているので別の者だと言い切ればいいんでしょうかね。

 完結したのを喜べばよいのか、完結したのは別の物語で「ラバ空」は完結していないと言い張るのか微妙なところです。

翼に日の丸 上 双戦篇 翼に日の丸 上 双戦篇
川又 千秋 (2005/11/25)
角川書店

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ぼくのメジャースプーン ―人にあらざる力を使うということ―

2006/06/25(日) 19:57:28 [] #

人にあらざる力を持つ者がその力を行使する、というのはライトのベルでは結構当たり前の話だが、実際のところその意味を理解した上で行使しているかというとそういうわけではない。使うのは当たり前、使うことが前提の力だ。
 「力には大いなる責任が伴う」というようなことを映画版「スパイダーマン」では語られていたが、力を行使することに対して何か責任や制約を追っているように見える者は少ない。
 
 「ぼくのメジャースプーン」に登場する主人公は使い方次第で人の命を容易に奪うことのできる力の持ち主だ。
 小学四年生である彼は、自らが加害者であることをある程度自覚している。ある者に復讐を行うために力を使おうとする彼は「先生」とともに力を行使すべきか否か、力を利用することで起こるであろう結末を、力を行使することで負うべき責任と受け止めるべき結果を話し合う。
 その上で、誰のためでもなく彼自身のために、彼は彼自身のメジャースプーンによって自分の正義と敵の罪を計り、決断を下すのだ。

 その決断と、物語の結末は読んでいただくとして、彼は彼なりの持ちうるすべてを総動員し先生の助言を加えて力の行使について考え続ける。力の行使に無責任であることの多い最近の小説の中では非常に新鮮にうつる。力による恩恵のみを受け制約を受けない異能者、宿命という言葉を免罪符とし決断もせず責任も負わない破壊者、そんな物語に少しばかり疑問を感じたならこの本をお薦めする。

 あ、別に昨今のライトのベルが気にくわないといっているわけではないですよ。ただ、もちっと考えて方が良いんじゃないのかね、と思う次第。

 

ぼくのメジャースプーン ぼくのメジャースプーン
辻村 深月 (2006/04/07)
講談社

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